起業するなら大きなインパクトを。
GDP貢献を掲げた創業者の原体験
CEO 佐崎 傑

代表取締役社長(CEO兼CTO)
株式会社Goalsは2018年に、CEOの佐崎傑が創業しました。新卒でワークスアプリケーションズに入社し、約10年の在籍期間を経て、なぜ起業に至ったのか。本記事では、起業に至った3つの原体験について紹介します。この体験は今の佐崎の価値観を形成する大きな要素となりました。今のGoalsにも脈々と流れるような「マインド」はどこから来たのか。幼少期の体験から創業までを振り返ります。
起業家マインドを宿した3つの原体験
起業しようと思った背景には、何かきっかけがあったのでしょうか?
佐崎
はい。起業の理由や、起業する上で決意したことなどは、私の過去の3つの原体験が大きく関与しています。
1970年代、Appleがまだ世に出る前のことです。コンピューターといえば軍事産業で使うことが主流と言われていた時代から、大企業でも取り合いになるようになったばかりの時期でした。父はその頃に、エンジニアとして大手コンピューターメーカーへ新卒入社しました。
当時のコンピューター市場は完全なる売り手市場で、商品を欲しがるお客様がいても「では、3年後にお届けします」というように待たせることは当たり前。それでも買いたい企業が後をたたない状況だったと聞きました。そのくらい儲かった時代だったんです。まさに、産業コンピューターが黄金期を迎えたタイミングです。
「これほど儲かるビジネスがあるのか」と気づいた人たちが、次々に独立。後にキーエンス、日本電産(現・ニデック)のような会社を代表とする「第一次ベンチャーブーム」と呼ばれる動きです。父もまた、先輩とともにその流れに加わり産業用ハードウェアメーカーを創業します。当時はETCもなく、信号機もアナログでした。建設省(現・国土交通省)等の行政が交通機器のデジタル化に舵を切った影響で、屋外の過酷な温度環境で稼働する製品の需要が爆発的に伸び、1990年代から2000年代にかけて父の会社は急成長を遂げました。
その結果、我が家の家計も好転。以前はハーモニカすら買うことを渋られていたのに、ギブソンのギターを買ってもらえました。上場も視野に入れていましたが、最終的には海外メーカーにM&Aにより売却。しかしこの売却後、海外から経営陣が送り込まれ、元々いた経営陣は経営から離れることになりました。父ももちろん、その中に含まれていました。
「これからは投資で生きていく」と宣言した父は、残された資金を元手に海外証券の口座を開設。その後ほどなくして起きたのが、2008年に世界を襲ったリーマンショックです。通帳に記された資産は、一瞬でほぼゼロにまで減ってしまったのです。
父は成功と喪失の両方を経験しました。事業を立ち上げ、成長させ、売却し、そして全てを失う。ジェットコースターのような人生を間近で見て育った私は、一つのことを学びました。「気合さえあれば、なんとかなる」。理屈ではないのです。各局面で起こる物事と向き合って、気持ちで乗り越えるしかなかった。どんなことがあっても折れない。父の背中が、それを教えてくれました。これが1つ目の原体験です。
そんなことがあったのですね。では、この出来事が今の佐崎さんを形作っているんですか?
佐崎
これだけではありません。挑戦意欲の高い父の影響も強く受けましたが、食品メーカーの創業経営者である祖父の存在も大きかったと思います。他にも親族には、大学教授や大企業の役員がいたりと、ある意味で特殊な環境で育ちました。親戚中が「人様のために生きる」という揺るぎない価値観を持っていました。
それを裏付けるエピソードとして強烈に記憶に残っているのが、お正月のお年玉です。「これで何を買おうかな」と思っている幼少期の私に対して、親戚の大人たちは皆口々に「どこに寄付するの?」と問いかけてきます。自分のためではなく、人のために。その精神性は幼い頃からずっと植え付けられてきました。そのせいか「社会貢献」という言葉を聞くとちょっと心臓が痛くなるほどです。ソーシャルビジネスやCSRは、ごく最近主流となった言葉だと思いますが、私の場合、物心ついた時にはすでに、その考え方が植えつけられていたのです。そんなトラウマにも似た原体験が私の根底にあります。

幼少期の体験が中心ですが、それが起業に直結したのでしょうか?
佐崎
幼少期の体験だけではありません。2008年に新卒入社し、約10年在籍したワークスアプリケーションズ(以下、ワークスという)で得た経験も大きいです。
入社当時、大企業といえば自社でサーバーを立てるのが当たり前でした。「クラウドで基幹情報を管理する」という発想自体がとんでもないことで、「流出したらどうするんだ!」と言われる時代でした。ちょうどAWS(Amazon Web Services)の東京リージョン(クラウド基盤・データセンター)がオープンした頃です。私は新技術の研究開発を任されていたため、AWSをフル活用し、分散処理の技術を探ることに没頭しました。その結果、世界10,000社の中から日本企業で唯一「AWSリーダーシップアワード」という賞を受賞したのです。
ラスベガスの授賞式会場で隣にいたのは、なんとあのAdobe社です。時価総額10兆円を超える世界的なソフトウェア企業ですが、他にも売上の桁が違うようなグローバルカンパニーばかりが呼ばれていたのです。企業規模からすると不思議な光景のようにも思えますが、日本最大手の名だたるSIerやソフトウェア企業を差し置いて、ベンチャー企業だったワークスがクラウドという先端領域の研究開発に圧倒的な投資をしていたのです。
クラウド黎明期に、誰もがエンタープライズソフトウェア領域での使い方が分からない中で、世界有数のチャレンジングな組織の一員になることができました。その過程で、分散処理・AI・データプラットフォームのような基礎技術から、日本の最大手企業が利用するHCM・SCMなどの基幹システムへの製品化や、海外マーケットへのチャレンジまでを手がけ、グローバルな技術競争の現場を実感できました。
この経験が私のなかで、「技術を使って世の中を変えられる」という確信を生みました。そして後年、食品産業という未開の領域にAIで挑む際の、技術的土台となりました。

その確信が、今のGoalsでの事業に繋がっているんですね。
佐崎
その通りです。これらの原体験をもとに、創業にあたって私は3つの条件を決めました。
①日本社会に貢献できる事業しかやらない
②最大限のインパクトを目指し、大きな市場を選択する
③未解決問題に、先端テクノロジーで挑む
私が仕事人生を通じて目指すのはGDPの向上です。国内GDPを1%引き上げることを目指し、自身が興した会社でチャレンジしようと創業前に決意しました。とはいえ、自分の人生を超える規模の、壮大なコミットメントです。僕が生きてるうちに達成できるかはわかりません。果てしない長期戦だと思って挑もうと考えています。
様々な経験や体験が重なり、創業の道を選んだ佐崎。Goalsとしてのビジョンやミッションのその先には、国内GDPの引き上げに貢献するという大きな目標があります。なぜ、それほど壮大なゴールを置くのか。理由の一つには、本人が「趣味」と語る「習慣と姿勢」がありました。「新卒の頃は何もできなかった。先輩から技術を盗んでは、少しずつ自分のものにする。段々とレベルアップすることが、いつしか趣味になっていました。成長プロセス自体を楽しめるマインドは、挑戦する上でとても大切です」と振り返ります。「前職の社長は、20年で売上500億・社員数千人規模の会社をつくりました。会社員としてそばにいるだけでは、社長に勝てない」。そう悟ったことも起業を後押しする要因になったと語り、自身を最大限にまでレベルアップさせる環境が、Goalsだと佐崎は言います。次回は、なぜ食品産業を選んだのかをお伝えします。